「老いるということ…」
今回のブログでは誰もが当たり前にある「老い」について少し触れてみたいと思います。
一般的に「老い」とはどのようなことを指すのか、改めて考えてみると、
人は老いることで、体力、能力、容姿の変化はもちろん、仕事や家庭など社会的役割を失ってしまう、また手放すことを余儀なくされる経験が一般的に「老い」と言われています。
若い頃と比べて頼られなくなった、
家具や家電などの環境の変化から家事ができなくなった、
子供や孫など養う相手がいなくなった、
友人と会う機会が減ったなど、
日常を含む文化や社会の変化によっても、歳とともに「淋しさを感じる生活」を送っているという方も少なくないのではないでしょうか。
身体的な機能面の変化は、病気や怪我によって起こるだけでなく、このような生活の変化から活動量や運動の機会そのものが遠のくことで機能の低下が起こってしまうということも現実としてあるのかもしれません。
そう考えると「老い」によって起きる、その「淋しさ」と対にある生活を送るということは、とても大切な介護予防にも繋がり、大切なリハビリになるのではと私たちは考えています。
そんな私たちWATTOの日常では、1人1人に何かしらの役割を持っていただくことを大切に、
「ご利用者の皆さんにもとことん頼る」ということに重きを置いています。
ただ漠然と運動や手作業をしてもらうのではなく、何をするにも機会そのものの導入と過程、その後の成果や結果までのストーリーを大切に丁寧にその時間を作っていく。
例えば、WATTOのイベントの装飾作りを手伝ってもらう。
誰がどんな想いで○○を作っているのかを皆で共有し、その過程からゴールまで職員はもちろんご利用者皆さんの喜びに段階的に繋げていく。
WATTOの設備や用具に傷んだ箇所があれば、特に男性の力を借りて、メンテナンスや修理を行う。その後に皆さんがそれを使用し、作業にあたってくれた方へ感想や喜びを伝える。
調理で使用した包丁も、誰かが「切れ味悪いね」と言えば、別のご利用者がご自宅で使っている砥石を持ってきて、包丁を研いでくれる。
切れ味が良くなった包丁を使って野菜を切れば、せっかくだから何か作ろうかと、次々にバトンが繋がっていく。
大切なことは、非現実的なシーンや機会を演出するのではなく、
どこにでもある日常の中で、ご利用者がまた別のご利用者の「力」になり、WATTOの「力」にもなってくれる。
その全てが当たり前に「ありがとう」に包まれ、「達成」から「喜び」が生まれ、その「喜び」がまた次の「欲」を生み、やがてそこに「役割」という信頼が生まれる。
そしてその「役割」を果たすために、また日々のリハビリに「目標」が生まれる。
どれをとっても一見当たり前に思うことですが、その当たり前の積み重ねやこの循環がどれだけ大切なことか、そしてそれがどんなリハビリよりも精神的、身体的に快活を生んでくれるのか、これまで本当にたくさんの素敵な時間を見てきたからこそ、それが皆さんにとっての介護予防、大切なリハビリになっているんだなとあらためて実感することができました。
今後もWATTOはご利用者1人1人と「老い」という介護に向き合いながら、精一杯やりたいことを支えていけるよう、努めていきたいと思います。
このブログを作成している最中、
「これからやってみたいこととか、行きたいとことか何かしたいことある?」とあるご利用者の方に聞いた際、「職員の食生活の乱れが心配、皆がこれからも健康であって欲しいからご飯を作ってあげたい」と、心温まるコメントをいただき、ご自身で準備したレシピから炊き込みご飯のおにぎりを作っていただきました。
お米の分量からお米の硬さ、作業時間の細部に渡って入念に計画されたそのおにぎり作りに、「職員の皆に美味しく食べてほしい」という大きな大きな愛情を感じながら、
リハビリで得た力、その時間をご家族やご自身に還元するならばまだしも、WATTOの職員のことを気にしてくださっていること…。申し訳なさと感謝が入り乱れる本当に温かいひと時をいただきました。
ご本人は上手くできなかった、もっと○○していればもっと良かったと、既に次の機会の計画を考えている様子です。その機会をまた次の楽しみにと相変わらず頼ってばかり、甘えてばかりのWATTOでした。笑
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